21世紀の彩り・芸術文化

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短歌について

短歌とは

 ほぼ7世紀ころから現在までつくられ続け味わわれ続けている、各句五または七音節で五七五七七の五句からなる、日本固有の叙情詩形。

【日本大百科全書より】

短歌の歴史

 短歌は「和歌」に含まれるが、量質ともに和歌の中心をなしており、和歌史はほとんど短歌史といいかえてもいいほどである。
 短歌定型が成立したとき、それは類型的で非個性的な歌謡から脱皮して、かなり純粋な個人的心情の表現形式となったが、同時に、短詩形であるがゆえに、それが理解される場に依存しつつ詠まれ味わわれる度合いが大きかった。多くの場合その場とは、生活のなかに成り立つさまざまの共同体であって、具体的には各時代の社会構造に応じて変化があるが、歴史的な変化に応じる質的変容を示しながら、短歌は長く日本人の生活のなかに生き続け、現実生活との接触あるいは融合によって生命力をよみがえらせてきている。もちろん、ときには芸術的な純粋化を強く志向した時期もあるが、それが様式的固定化によって成長力を失ったとき、現実生活に根ざして歌うことによって新たな詩的生命を育てている。
 そのように短歌は日本人の生活と結び付きながら消長を繰り返してきており、多くの人に親しまれるとともに、またしばしば他のジャンルにも影響を及ぼした。連歌(れんが)や俳諧(はいかい)を分化させていくとともに、物語や日記などの散文文学における心情表現や自然描写にその表現方法が吸収されているし、巧緻(こうち)な修辞法はそのままに能の詞章に取り込まれもした。実用性を強めたときには呪歌(じゅか)的機能をもって歌われたり、あるいは道歌や教訓歌などともなったりしている。古典化しすぎたときには、「たはぶれ歌」や「狂歌」として日常生活に密着した笑いによって現代性を回復する試みもしている。
 日本文学史を貫いて生き続けた唯一のジャンルは短歌であり、それは短詩形ながら多面的な性格をつくりだしえたことによっているといえよう。

[ 執筆者:藤平春男 ]

短歌の決まりごと

 古代歌謡は非定型が多く、それが定型として固定していくには、文字による書記化が行われ始めたことが媒介となっているであろうが、定型が成立していくなかで最初から優勢だったのは短歌形式であった。定型化は長歌と短歌とが併行しつつ進行しており、定型長歌の末尾五句が独立して短歌定型が生まれたという説は事実に即していないと思われる。
 古代歌謡における非定型から定型への傾斜のなかに、すでに短歌と長歌との分化は生じていたのであった。定型に共通する問題は、なぜ五音節句と七音節句とが単位になっていくかということであり、短歌については、なぜ五句でまとまるのかであるが、五音節句と七音節句とに固定していく理由は、日本語の拍の特性に基づく音楽的根拠をあげる説が有力と思われる(具体的にはそのなかで諸説が分かれる)。また、五句でまとまるのは、その短歌定型が、焦点をもって凝集した心情を表現する叙情の形式として適しているためだといえる。五・七の繰り返しは単純ながら音数律をつくるが、奇数の五句になるのは、古代歌謡のなかの短歌(完全な定型でないものも含む)にみられるように、物象あるいは事象の表現が偶数句でなされていたところへ叙情部分(しばしば末句に置かれる)が加わって一首を形成するからで、事物に即して生じた心情の凝集は最短の五句体がもっとも純粋に表現するのである。
 短歌定型は、叙情詩が求められるようになったとき、具体的な事物に結び付いて生じた心情を凝集した形で表現しうる形式であったために、広く行われるようになった、と考えてよいであろう。五句構成の内在的文脈は多様で、さまざまの表現法を生み出している。

[ 執筆者:藤平春男 ]

参考文献
1.和歌文学会編『和歌文学講座』全12巻(1969〜70/再版・1984・桜楓社)
2.久松潜一・実方清編『日本歌人講座』全7冊(1961〜62/増補版・1968・弘文堂)
3.久松潜一著『和歌史』全5巻(1960〜70・東京堂出版)

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