あるところに一本のローソクの灯があった。それがある時、光というものは大変明るいものだと聞いた。「あ
あ、わしはその光なるものにめぐり逢いたい。わしの周囲はどちらを向いても闇ばかりだ」こういって、灯は光
を探し求めて歩き廻った。が、どこにも光なるものを見つけることはできなかった。だんだんと灯は燃え尽くし
て、いまや消えかかろうとした。そしてゆらめきだした。そこへ、一陣の風が吹いてきて、あわや灯は消えよう
とした。その刹那「あっ、わしが光りであった!」と叫んだ。光を、幸福を探し求めることを止めるとき、その
刹那、自分自身が光りであり、幸福そのものであったことがわかるのです。幸福は即座に自分の足元にあったこ
とを知るのであります。どんなに苦労多い世渡りでも、どんなに淋しい生活でも、そこに幸福と感謝とがじゅう
ぶんに感じられるのであります。不平に思ったのは自分の贅沢でした。一日の生、これこそ大きな感謝でありま
した。一日の生活、これこそ大きな恵みものの中に暮らした一日でありました。わが力で得たのではない命を一
日享受し、わが力で暮らせたのではない一日を送ったこと、これ大きな幸福であります。
木八郎
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