人はだれでも幸福を願っている。だからこそ自らの運命を開拓しようとし、その方法を講じようとするのであ
る。家相、人相、占星、方位、改印など、みなそのたぐいであるが、はたしてこれらのものが、己の運命を開
拓してくれるであろうか。ある人はこれを疑い、ある人はこれを信じ、ある人は真っ向からこれを否定しよう
とする。昔から「当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦」といわれているが、これは言いかえれば「所詮は
わからぬもの」ということにほかならない。だが、わからないからといって、「そんなバカなことが……」と
否定することはできないであろう。わからない…ということは、否定も肯定もできない神秘の世界だからであ
る。それでもなお、ひとびとはわからないままに「どうしたならば……」と神秘の扉をたたき、開運の道を知
ろうとするのである。観相中興の祖と仰がれた水野南北翁はひそかにその食をへらし、常に腹八分にし置く人
は、たとえ凶(わる)い相の人であっても、しだいにその相を変え、相がよくなるにつれて運命も必ず開かれ
ていく」と断言しているのである。
「諸々(もろもろ)の飯食(おんじき)を受くる事、 当(まさ)に薬を服するが如くすべし」と、
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