歌川 豊国/江戸時代の浮世絵師

浮世絵師 歌川豊国
歌川 豊国(うたがわ とよくに、明和6年(1769年) - 文政8年1月7日(1825年2月24日)) は江戸時代の浮世絵師



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豊国の襲名者 [編集]二代目豊国(1802年-1835年)は豊国門下の歌川豊重が豊国の養子となり、死去に伴って二代目豊国を襲名した。通称「源蔵豊国」。別号に一陽斎、一瑛斎、後素亭。作品に『風流東姿十二支』『名勝八景』など。
三代目豊国は同じく豊国門下の初代歌川国貞が、弘化元年(1844年)に重ねて二代目豊国を称した。
四代目豊国(歌川豊国 (4代目))(1823年-1880年)は国貞の門下ではじめ二代目歌川国政。後に娘婿になり二代目国貞、明治3年(1870年)に国貞に続いて三代目豊国を称し騒動となったが、今日では四代目豊国とみなされている。通称は政吉、清太郎。別号に梅堂、一寿斎、梅蝶楼、香蝶楼、一陽斎、宝来舎。
六代目豊国は印刷業を営む傍ら、90代で定時制高校及び近畿大学夜間部に進学し話題となった。「大学院にも進学し、美術研究をしたい」と語っていたが、大学2年次に死去した。

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