ひな祭りの歴史・桃の節句・流し雛の始まり

桃の木は多くの実を付け多産の木とも云はれ、家が代々繁栄するように、良い縁談が来るように


ひな祭りの歴史は約100年前の平安時代中期ごろに疫病とか色々な病気が流行り困っていた。当時の疫病等は

悪厄だと怖がられていました。その悪厄と無病息災を陰陽師を呼んで祈祷、祈願をしてもらう事にしたのが始

まりでないか、陰陽師は春の旬の食べ物を供え、悪厄、無病息災と紙に書き紙人形を作り、災厄を托し海や川

に流したのが(流し雛の始まり)三月の始めの日だと云われています。

もう一つの説は、中国では桃には不思議なほど生命力があると言われ、日本に平安時代中期当たり伝わったと

云われています。女の子にも桃の生命力を持てるようにとの願いを祈願していたものと思います。当時の時代

では多くの子供を産むことは女は当然の時代だったようです。

桃の木は多くの実を付け多産の木とも云はれ、家が代々繁栄するように、良い縁談が来るように、桃の木のよ

うに多くの子供を授かるよう願いを込め、儀式として女の子の祭りを、桃花の咲く頃に祝うようになったので

はないかと云われています。

我が家も小学1年生の一人娘が女の子を祝う祭りだとばかり一生懸命飾、床の間に小さなお雛様を飾り、甘酒、

紅白の菱餅、ちらし寿司、お吸い物、を飾りおひな様となにやら「あ〜の〜ぉ〜ね〜ぃ〜」「こ〜の〜ぉ〜ね〜

ぃ〜」と二人で猫撫声の会話をして遊んでいる。平和な国ですな〜ぁ

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