煙草と飲酒どちらが悪いか | |||
最近、日本では嫌煙運動とか、公衆施設、駅、等大半懐疑的な傾向にみえる。日本(世界的)で社会的に喫煙
者を、公衆施設、駅、などから締め出す行為は昔で言えば村八分と同じである。今学校でいじめが多く発生し ている。嫌煙運動行為の類が弱者を、大人の社会がまるで、そのまま鏡のように、喫煙者達を苛ているよう に思はれてならない。喫煙を嗜好として、昔から若いときから愛煙してきたのである。それを肩身の狭い、思 をし、まるで犯罪者の感覚のように、ひっそりと泣きながら煙草を吸っている人がいるのではないかと想像で きないだろうか。学校でいじめが、起きるとか、児童の犯罪が起きるとか、変な今まで在りえなかった人間の 心の暗部のように凝った社会犯罪など、大衆から疎外されている中から生まれているきがする。なにか社会 が、大人が、嫌煙運動をするみたいに、社会正義の剣を持って、正義のごとく退治しようとしている。非喫煙 者、がまさに国から権利を委託され、これが正義だとのように、肩で風を切って歩いている姿に、政治的に社 会的な陰謀に操られているきがする。これが現在の大衆社会心理の犯罪なのかもしれない。 人間、誰しも酒のんで酔はない人はいない。飲んで一回や二回は失態を、晒した経験があるはずである。飲 酒、いま社会ではあまりよい言葉に聞こえてこない、嫌酒ブ‐ムが禁酒ブ‐ムが広がりつつあり、酒は社会に 対する迷惑とか青少年にあたえる、影響などの視点などから判断しても、酒を飲んでの犯罪は少なくない。そ のてん煙草を吸って暴力的に犯罪を起こす人間は無いと言っても過言ではない。酒は飲んでも飲まれるな、飲 んだら乗るな、等酒に係はる戒めの言葉はいろいろあるが、一向に酒による犯罪は減らないのが現実のようで ある。いま国では煙草を1000円にするとか、しないとか叉、煙草を吸って犯罪を犯すことが無い、喫煙者の弱 者を国がいじめようとしている。日本は神代の昔からお神酒は、いわゆる神聖で悪を払う儀式として国民に愛 し飲まれてきた。それら神への信仰が日本の文化であり伝統でもあり、その文化伝統に愛し飲まれてきたお神 酒はいわゆるアルコ‐ルとして今も老若男女が親しんでいる、しかし酒でのトラブルは後をたたなく、暴行、 痴漢、殺人、等あるとあらゆる犯罪が酒によって起きているのである。従って煙草を吸う弱者の喫煙者、叉、 犯罪に影響を及ぼさない煙草をすう、そのものに犯罪性はないのである。只、酒と煙草は大人の世界では切っ ても切り離せない関係であり、酔った勢いで煙草の火で火事を起こすときもある。酒はほどほど、飲まれない ようくれぐれのご用心を。ちなみに私は煙草を吸わない、いわゆる非喫煙者である。 平成21年7月18日 | |||
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