受験生の心理 ・受験生をもつ親の思考

受験生の心の変化


毎年の事であるが入学試験のシ−ズンがやってきた。受験期の子供のいる家庭ではテレビをみるにも大変な気

の配り方であろう。受験する本人はもちろんつらい思いの毎日であろうが、親の方もとくに母親は本人よりつ

らい思いの毎日であろう。受験勉強のため夜は一時、二時の深夜まで起きている子供もあるというがまったく

あきれた事だ。これでは体に無理をして眠いのを我慢して勉強どころかマイナスになるだけだろう。それでも

子供はそうするのが受験勉強であると信じ親達も「ウチ」の子供は大したもんだと高くもない鼻をうごめかし

ている。この子にしてこの親ありとんだ親馬鹿だ。今の入試制度も根本的に改める必要があると叫ばれていて

も、その対策はさっぱり進まず事態はますます深刻になりつつあるとはいいながら、たかが知れた田舎の高等

学校(オット失礼)に受験するのにそれ程までに血道をあげる事もなかろう、それ位までも勉強しなくては合

格できないような子供では最初から方針があやまっているのではないかと思う。夜遅く迄机に向って居眠り半

分の勉強するのは病気の原因で児童福祉にも反する行為だと思う受験そのものでも。普段の試験の時はよく出

来る子供が思わぬ失敗をしてしまうことがあるが入学試験になると思わぬ番狂わせがどこでもみられる。この

子供なら大丈夫と先生からも親からも期待をかけられている子供が案外成績が悪く不合格になるとゆう例が非

常に多い。どうも運が悪かったツイテいなかったと言われ偶然のめぐり合わせの悪さとわりきられがちだが、

私はそう思わない。合格できるだけの実力を身につけているはずなのに不合格になる。これは単なる偶然のせ

いではなく種々の原因があってそうなるわけでその点を掘り下げて考えてみる必要がある。まず考えられるの

は普段の実力が十分に発揮されなかったことである。なぜそうなったのか、親や先生の期待に是非ともこたえ

ねばならないとゆう思いが負担になりコチコチに硬くなり普段なら当然出来る事が出来なくなると、ゆう場合

もあれば気が向かったり気持ちにムラが多かったりで、ちよっとしたつまずきで精神の安定を失い失敗すると

ゆう場合もあろう。これらはいずれも精神的な原因であり実力といってもそれは人間の実力であるとゆう事は

ゆうまであるまい。だがそこに問題があるのではないか。試験をうけるのは計算機のような実力そのもでなく

生きた人間であり知能の外に感情とゆうデリケ−トな働きをもつ人間なのである。あの子は秀才だとかあの子

はできが悪いとか簡単に批評しがちであるが、それはとかく子供の学業成績の面だけをみている場合が多い。

秀才だが気が弱くわずかのシヨックも精神の安定を失いやすい子供もいるし鈍才だがどこかたくましいとこる

があり少しぐらいの悪条件なら気にならずいつでも伸び伸びと自分の力を発揮できる子供もいる。人間を全体

的に「まるごと」見つめるならばそう簡単に秀才だ鈍才だとふりわけはできなくなる。実力とか学力とかとい

ってもそれはあくまで「人間」の実力であり学力である。つまり実力も学力もその人間の性格や人柄に与えら

れたのであり実力や学力を本当に生かしてくれるものが必要ではないか。参禅でゆうところの「仁王の気」と

でもゆうか目をむき足をふんばったあの仁王のように百万人といいども吾いかんとするたくましい「キハク」

を養成し悪条件の中でも自分の力を十分に発揮できるような性格、人柄をつちかうことの重要性にもっと目を

向けるべきであろう。

受験生を持つ親より

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