短歌の世界 池田幸一郎 第二巻 ・火宅の世を旅立って彼岸の浄土につく

巻頭の言

私は歌人ではない、勿論有名な専門の先生について、歌道を学んだのでもない、だが私は私なりにのとぼしい、

文学のながめ方、よみ方、批判のしかたを持っている。そのとぼしい文学熱のおもむくまま、口の先、頭の中、

ペンの先等に、とびだしてきたものを、自分のたましいの記録として此の「ノ−ト」に書きなぐり、それに自分

の都合のよい「評」を下している。故に歌道の定義にはずれている事。竝にその底流する一貫の思想がまちまち

である事は言をまたない。どれも、これも、皆拙劣、幼ちな作品であるが、私にとっては全部が全部苦心作であ

り、私の心のさけびであり、私の神経である。



朝早く魚の行商にゆく腰に
   はかり天びんながくさしたり

三月目に断ちし煙草を手にするに
       指先ふるいて口元にゆかず

目の前の雲の下なる山の湖(ウミ)
       いたく光れり雲もるる日に

記憶のみゆめの如くに拡(ヒロ)がりて
       吾は倖なりし頃ぞたのしき

吾子(ワコ)よ今父は嬉しき事のあり
         汝が美しき心にふれて

さえぎるなきむなしさを越えうつろなる
         階上岳の遠きむらさき

今日までの妻の努力が実をむすび
     吾はやうやくすこやかになれり

夕汐のさし来るらして新井田川
       小舟はげしく左右にゆるる

不安なる心いだきて帰る路
       見れば雄々しき臥牛の峯々

征服者は孤児をつくりて宗教の
     かげにかくれて愛の手さしのぶ
修、卓、泰と三色(サンショク)の
  男(オ)の子にふさわしい子らの性かも
生活の苦のなき人と思いしに
    自殺せしとは信じがたしも
裏富士が木の枝ごしにうかびいづ
     妻のふるさと我もこいしかり
政変をラジオしきりに告げ居るも
    吾関係(カカリ)なく子とふざけをり
説諭する具に用ふべきと想ひたち
         幼き頃の賞状さがしぬ

社会科の試験明日あるといふ宵に
        子は高々と書を読みをる

十時までも学ばねばという子はやがて
     こたつに入りていびきかきける

ききわけのなき男の子らに妻のぼせ
     ぐちこぼしつつすくい求むなり

叔父くるとはずみて来にし幼子が
      ふとたじろがぬ見知らぬ人に

世にこわきもの無きかとぞおもはれむ
   頭(ツムリ)なぐらぬ此の父でさえ

くたぶれて音なくねやる吾子の顔
         時々笑うて口動かしぬ

懸け将棋子となしたるが二回とも
       リンゴとられぬ敗れし吾は

いさかいの言の葉しきりにほとばしる
      子等のあそびに泣く子でたり

朝毎に子等は寝床を離れ得ず
        妻の高声しきりにつづく

      
着かざりてつらい事のみあるという
      寒き港の酒場(バ-)の女かな
ほそぼそと港に映える夕光にも
      悔多年の暮れ想はれる
ほほえみし顔に重なる一瞬に
   さみしき影のしかとみとめき
酒求め霧深き夜黒髪も
     まつげも濡れて帰り来にけり
さまざまの未来に蓬はむ若き生(ヨ)ぞ
          きびしかりとも清けきを負へ

はばたくも子は愛しきといふ君は
           己が子に非ず子を育て居る

街路樹の銀杏おほかた落葉して
          舗道の明るき中をバスの行く

海なりのとよもす夜は明けはなれ
             臥牛の峯に新雪をみる

晩秋の深夜の怪をひたひたと
           けものがたつる四つ足の音

十二年の年月無意に過ぎにける
       我の強気き女(ヒト)妻にめとりて

軒下に落ちる雫はいつしかに
       まだらとなりてミゾレ晴れたる

月の一面をなでるが如くゆく雲は
            遠き臥牛の上にかかりぬ

柿紅葉一葉散る朝幾百里
          へだてある里妻恋しからむ

ふるさとを忘れ果てしといふ妻の
        肩に淋しく秋に光(ヒ)さしぬ
拙劣な歌詠みつぎて半年余
    初冬(イマ)いき詰まる感せまりこぬ
切上げの漁人(イサリド)たちは夜もすがら
       唄うたえをり寒き町にて
この果はいづこの国に連なると
     思えぬほどに海荒れてをり
風凪ぎし夕となりて冷えきたり
     漁船を昭らす月のさやけき

八月の初旬以来ペンをとり,巻頭の様な意味の下に書きなぐった歌壇も 十二月の下旬に至りようやく巻きを終え

た。筆跡をふりかへって、誠に四離五減まとまりのつかないものばかりで汗顔に堪えない、でも此のつまらない

現在の社会に於て、眞に自己の精神を打込んでやろうとする気持ちの湧いてくるものは、学問位のものだろうそ

のうその学問も私の唯今の境遇ではおそすぎた。それの代償を求めるつもりで此の歌を詠んだので、私にとって

は、大きななプラスになり心の慰安ともなった事は大きな利益だったと思う。思うに人の一生は宿世のものであ

ろう、すべての人間は人間社会の煩悩や悪性の体現としてこの世に生をうけ、その業因を果したいつかの日に永

世不死の世界に帰ってゆく、火宅の世を旅立って彼岸の浄土につくといへば非常に楽しい様だが誰人でも、此の

関門をくぐってゆきうる勇気のある人はないであろう。だが我々を死の恐怖から蘇生させ飢餓の苦しみも生活の

不安もない安住の世界を求めようとするならば死を機録にしなければならない。佛界でいうところの無明の煩悩

を断ちきった時、人間は一切無に帰一する、だが、無より有を生ずるために、此の現世に於て人間は苦悶するも

のとせば、過去六ヶ月の間つれづれにふれて、書きなぐってきた此の一冊のノ−トの有意義であった事がそぞろ

に思はれ、私は私自身で此のまづしい自作の歌壇にひとしほの愛着を感ずるものである。

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