短歌の世界 池田幸一郎 第一巻 ・魔性に憑かれた様な悲境にさいなまされて

比の歌壇をつくった理由

私は元来孤独を愛する人間の一人です。愛する孤独―それは敗戦に依って人間性を失われた私の虚無の影かもし

れない。私はそれと闘いつづけその虚無感より脱却しようとしてなやんできた。人生は亦不遇の一生であった。

魔性に憑かれた様な悲境にさいなまされて正常な人生の道をふみはずしかかった事も再三ある。悲境と不遇この

泥沼の中で失意の人生を送らねばならない私のたどる運命はどんなものであろうか、その上その背景となってい

た世相はあらゆる人間が秩序、道徳を無視しふみにじって生きて行かねばならなかったあの敗戦直後の困乱期に

於いて。世の人々は人間というよりけだものの様な生活をたどらねばならなかった。あの頃無一物裸一貫の私が

妻子をかかへて「ウダツ」のあがらぬ生活よりうかび得なかったのは如何なるものであろうか?己を人生とよぶ

事が出来るならば、凄惨、眼をおう人生であろう。

此の様な凄惨極まりない人生より、いわゆる明るさが生まれるわけがないが此のどん底の深い靄をとほして、に

じみ出た明るさ即ち少しでも人間らしい「ウルホシサ」を望むままに、私の悲しみ、苦しみ、たのしみ、を一つ

にまとめて、書きつらねたものが本書である。



電線を越してゆきしが落ちるごと          糸つけし蜻蛉の水溜りに降りぬ

台風いかれる夜もすぎてねむの木の         緑こき舗道に夕光がさしこむ

彼の家はいづこぞ知らぬ町かどで
     バス降り行きし若人一人

けん陣に正座す玉を呑まんとし
    飛角連合騎虎の怒りを

子供らの前にて妻を叱りしに
 その目悲しく吾をみつめたり

風もなき海なだらかな鮫が浦
  船が群れなし北に向かいて

照り渡る秋の夜の月うしろにし
   若き男女が通りすぎけり

暑き日は子供の鳴らす鈴の音が
 身にもひびきて涼しさ湧きぬ

二つ三つ無心の子らが数う声
    空いちめんの初秋の星

紅に空染み渡る夕つかた
   秋のはたけの上の雲果てしなく
折にふれつれづれにふれわが駄作
    脳裏にうかぶ歌壇の集い

  
ひそけさをつぶやく如くほうちょうの
     木瓜をきざむ音にめざめぬ
とらへられかごにうごめくごまとんぼ
  そのやるせなき小さきつぶら眼
葉の茂の大きいポプラの木の下の黒土を
         朝しみじみと踏むも
そのかみにアイヌのすめりとつたえける
    わがふるさとに石楠の花さきぬ

友逝けりわがともついに逝けにけり
   生きてかいなしわれを残して

手紙やく焔折々風にゆれ
    わが悔恨はここにきわまる

子供らの指にし持ちぬ八月も
    ききょうの花と夢さりし今

子のねむるフトンの側に妻ねむり
     物音静か秋のひる下がり

でんとうの陰の蜻蛉の息づかい
  ひそやかにしてひとぞこいしき

世の光受てる短きその一生
   虫ひたなくはあわれなりけり

「貧なるがとほとし」とのたまいる
     十王院の僧生金襴のけさ

夕餉すみなすこともなき病身の
     書を出して独りながぬぬ

ねむれぬ苦しみにたえずしにげる如く
      鬼気はらむ深夜にいづる
十年経てめぐり會いたる我が友に
   話もできずし今は悲しく
苛立ちて手に持ち本を投げつかぬ
   この苦しさは何故なるか
台風六号近づき来しという午后に
    久しく會はぬ弟がきて
五ヶ月余病みておとろいゆくわれに
   わらいをみせぬ子供らの顔
老人の日に招かれたといふ人は
   ひげあと青くして六十五とおぼえず

ついおくのほのかなる思にうかぶ彼の人
      名前よびつつ夜のまちをゆく

入日さす高台の地にポプラの木
      おのおのの影を長く曳きをり

ひそひそと秋の夜長に声すなり
          隣の客は帰る風なく

中央に今宵も仰ぐオリオンの
        何百光年のかなたに赤く

秋の空ねて見あぐれば全身が
       地の底ふかく吸はるる如し

かひなれし高き秋の冷たさに
       心しまりぬ今朝の目ざめは

洞爺丸の遭難者あるといふ此の町内に
     人繁く行き交ふたそがれの道を

河またぐ送電塔は高くして
        雲はるなる高台に消えぬ

曉け方にはげしき雨の降りしゆえ
       路に木の葉の黄葉散りをり
乾しスルメはこぶ子供らや
 雷雨来りぬ初秋の午后
花をみてわれは思えりすべて皆
    美しきもの愁ありと
荒れに荒れしうねりはいつか静まりて
      夕光がさしぬ鮫の灯台
人らみなゆめみる時こくなにごとか
   犬かしましく遠吠えするも

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